<<<いつもの居酒屋で>>>
今から30数年前のことです。
仕事の関係で、関東方面に独りで出かける事が年に何度かありました。
いつも仕事の前日に現地入りし、いつも同じホテルに宿泊するお決まりコース。
夕食はホテルの一番近くにあった、無愛想で無口なオヤッさんがやってる居酒屋でチビリチビリ。
なんとなくいい雰囲気のオヤッさんだったので、私は店に行ったときは、まるで指定席か予約席かのように、決まってオヤッさんに一番近いカウンター席に座りました。
<<<無口どうしの会話>>>
わざわざ目の前のカウンターに座っても、オヤッさんは無口、私も無口だったので、注文するとき以外は特に会話はありませんでした。
たまに声をかけても会話が続くことは滅多になかったのですが、かといって気まずい雰囲気にもならず、ほんの少しのおつまみで静かに時が過ぎていき、やがて私はほろ酔い加減に。
最初に頼んだおつまみがなくなったので、もう一度壁に貼り付けてあるおすすめ一品料理を見渡して、おつまみを追加することに。
そしてお品書き札で一番に目についたのがなぜか、普段あまりよそでは食べないナス焼きでした。
追加注文してからややしばらくして、カウンター越しにオヤッさんから手渡されたお皿には、まぁるくスライスされた、ちょっと油吸い過ぎたンじゃね?と思うようなナスが数枚並んでいました。
お皿の片隅には、サービス旺盛で結構いい量のおろしショウガがついてきました。
<<<ヤ、ヤバい!!>>>
実は私、ショウガが大嫌いだったんです。
でも多分サービスしてくれただろうオヤッさんの手前、どうしようか考え込んでしまいました。
何をどう考えたのか…。
まず、この特大サービスみたいなおろしショウガをどうしたもんか。
この場を、どう切り抜けたら良いもんか。
いっさい手を付けないで残すか、嫌々でもムリして食べようか…。
(嫌いですが食べられないこともなかったので)
ショウガを食べなきゃ、子供みたいに思われるかな(笑)…とか思いながら、なかなか決断できないでいるうち、ふと、自分はなぜショウガが嫌いなのか?という疑問が浮かび上がってきました。
そこでショウガについて、ひとつずつ検証することにしました。
味…特に嫌いな理由はないな。
匂い…別に気にはならない。
辛さ…全く問題ないじゃん。
<<<食の歴史が変わった>>>
あれっ?結構旨いじゃん!!
これ、なんで今まで嫌いだったんだろう!?
答えも出せないまま、一皿のナス焼きをショウガまみれにして完食してしまいました。
もしあの時あのオヤッさんにナス焼きを頼まなければ、てんこ盛りのおろしショウガに直面することはなかっただろうし、もしかしたら私は今もショウガが嫌いなままだったかも知れません。
その日以来、私の嫌いなものリストから、ショウガは消え去りました。
<<<数年後…>>>
1,2年のブランクをおいて、久しぶりにまた仕事が入り、関東方面に行く機会に恵まれました。
もちろんいつもと同じように、オヤッさんの店に行きましたが、なぜかオヤッさんが店に出ていません。
小上がりやテーブルで注文を取ったり料理を運んでいた、オヤッさんの奥様にどうしたのか聞いてみたところ、
実は去年、亡くなっちゃったんですよ、糖尿が悪化してね…。
・・・・・・・・・
あまり会話もしなかったオヤッさんでしたが、とても居心地の良い居酒屋だったんです。
あの日以来、ショウガが好きになったんだよ、ってお礼のひと言も言えないまま、もう会うこともなくなってしまいました。
<<<今は自分で>>>
時々スーパーで、でかくて形の良いナスを見つけては、オヤッさんが焼いてくれたように自分で焼いて、たっぷりのショウガをナスにのせて、あの頃の思い出に浸って一杯やっているんです。
あの日のあの時と同じように、無口のままで…。