今から3年前の今頃…
その日は午後からあることを思い立って、買い物に行ってきました。
買ってきたのは小玉スイカ1個。
時期にはちょっと早いし、そんなに食いたかったわけでもなかったんですが、どうしてもその日買いたかったんです…。
2019年12月半ば、私の姉は癌に侵され失明した挙句、クリスマスを待たず、とうとうあっちに逝ってしまいました。
亡くなる年の春、桜の季節の前に視力を全て失ってから次第に衰えていく毎日、私が付き添い、慣れない食事の世話をしていました。
ところが、失明したせいもありやがて何を食べても同じものにしか感じなくなったらしく、次第に普通の食事も受け付けなくなってしまいました。
飲食出来るものと言えば、ウィダーインのようなゼリーものや牛乳、そしてみずみずしいスイカだけになってしまっていたんです。
そこで私は大きなスイカを買ってきて、毎日一口サイズに切ってはタネを全て取り除いて…。
毎日弁当箱くらいの大きさの密閉容器に入れて冷やしておきました。
今ではもうほとんど思い出せませんが、いろんなものを作って姉と一緒に食べていたんです。
そのほとんどを「美味しい」といって食べてくれた姉の言葉が、私を料理好きにしてくれたんだと思います。
姉は私に一人ででも生きていけるような術を身につけさせてくれたんです。
そんな気持ちに応えるために、スイカのタネはいつも一粒たりとも残さず、取り除いておきました。
夏が終わる…
やがて夏が終わりに近づくとともに、スイカの季節も終わりを迎え、とうとう姉の口に入れられるものがほぼなくなってしまったのです。
せめてスイカに近い食感のもの…と言えば、梨くらいしかなかったんですが、姉は上あごまで癌に侵されていて、上の歯もついているだけのぶら下がり状態だったため、硬めのものは口に出来なかったんです。
私はいよいよ困り果て、病院で面倒を見てもらうしかなくなり、姉を説得して終末医療の入院を勧めたのです。
結果として、それ以来自宅に帰ることは出来なかったんですが…。
残り1週間…
姉が逝ってからも市営墓地の保証人も決まらず、何の供養も出来ず、納骨すらしないまま3年半の月日が経ちました。
ようやく従姉が保証人を引き受けてくれることになり、納骨の日が1週間後に決まったのです。
姉と一緒にいられるのもあと1週間。
それまで3回の夏を過ごしてきたのですが、姉の事業を引き継ぎ、その事業がうまくいかず、家屋敷、家族もなくし無一文になっていた私には、スイカ1個買うお金さえなかったのです。
でもこのころにはなんとか収入が増え、姉にスイカを買ってやれるくらいになっていました。
最後のスイカ…
納骨まで…本当のお別れまであと1週間。小玉スイカを切って仏壇にあげて手を合わせた途端、堰を切ったように涙があふれてきました。
その時姉は、喜んでスイカを食べてくれたに違いない。
そして「美味しい」と言ってくれたに違いない…。
スイカの季節…
それからさらに3年が過ぎた今年。
いつものようにスーパーに買い物に行ったとき、妙に小玉スイカが気になりました。
そういえばここしばらく仏壇にスイカを供えてなかったな…。
なぜかその日、どうしてもこのスイカを買わなきゃならないような気がして、ためらうこともなく、一番手前にあった小玉スイカを買って帰りました。
あの日と同じようにスイカを姉の前に供え手を合わせ、何気にカレンダーを見たら、3日後が納骨した日だったんです。
姉は久しぶりにスイカが食べたくなったんでしょうね。
手を合わせながら、美味いか?って聞いた途端、またあの日みたいに涙が頬を伝いました。
そしたら、美味しいよ、って声が聞こえたような気がしました。
今年もまたスイカの美味しい夏が来ます。